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「小沢征爾さんと、音楽について 話をする」を読みました

「小澤征爾さんと、音楽について話をする」を読み終えました。これは、村上春樹さんが2010年から翌年の7月にかけて、様々な場所(東京、ホノルル、スイス)で集中的に行ったインタビューを本にしたものです。時にはレコードやCDを聴きながら質問を投げかけ、それに対して小澤さんは率直に自分のコトバで答えています、時には考えを慎重に巡らせながら・・・。

私は演歌に始まりジャズからクラシックまであらゆる音楽を聴きますが、いわゆる音楽通というのではなく、自分の好みで、感じるままに聴いているだけなのです。ですから、音楽をより深めたいと思ってこの本を読んだわけではないのですが、結果としては、これからクラシック音楽を聴く上で大いに参考になったような気がしました。

いずれにしてもこの手の本は結構好きです。以前に読んだ羽生善治+柳瀬尚紀著の「勝ち続ける力」も同様で、そういったとんでもない天才の頭脳の思考回路がどうなっているのかを覗きみたい一心なのかも知れません。しかも、相手をしたのはどちらもコトバの達人です。

実を言うと私は何となくベストセラー小説を敬遠するきらいがあって、村上さんの本を1冊も読んでいないのです。でも今回この本を読んで、小説も読んでみようかなという気になりました。というのも、村上さんの音楽知識は半端でなく、それに加え音楽の本質を見極める感性も凄いと感じたからです。

過去の演奏会やレコード(CDも含む)の情報に関しては小澤さんよりは遥かに詳しく、逆に小澤さんの方が村上さんに尋ねていました。もっともそれは当たり前のことかも知れませんね。たぶん小澤さんは普段レコードなんか聴かないでしょうから。なのに、今回の村上さんの事務所でのインタビューでは、時にはその話題に関連する様々なレコードを聴きながらインタビューしていて、そのくだりがなかなか面白かったです。

話を戻しますが、村上さんの質問は、そうしたある意味ではオタク的な音楽知識をひけらかすような感じではなく、みごとなまでに本質を突いていました。そして、時には小澤さんの感性的なコトバを私たちにも分かるように具体的なコトバとして反芻し、表示してくれていました。

第4回目のインタビューは「マーラーの音楽の音楽をめぐって」が標題でした。私自身はマーラーの音楽をほとんど聴いたことがなかったにもかかわらず、とても面白く読むことができました。何が面白かったかと聞かれてもよく説明できないのですが、例えば曲の構造みたいなこと(音楽としてではなくコトバとして)が少しわかったかな、という気持ちにさせられました。

例えば「マーラー音楽の結果的な前衛性」という章では、こんなやりとりが行われています。
村上「たとえばリヒャルト・シトラウスのスコアを読むのと、マーラーのスコアを読むのと、どこが違うんでしょう?」
小澤「・・・バッハからベートーベン、ワグナー、ブルックナー、ブラームスとドイツ音楽を辿ってくれば、その流れでリヒャルト・シトラウスは読めます。・・・ところがマーラーはそういうふうには読めない。まったく新しいアングルが必要になってくる。・・・」
村上「さっきも言われたように、マーラーは十二音技法とはまったく違うところで、地平を切り開いていたわけですね」
小澤「彼はね、材料としてはベートーベンとかブルクなーとか、そういう人たちがやっていたのと同じ材料を使っていたのです。それなのに。そこからまったく違う音楽を作り上げてしまった」
(中略)
村上「調整の可能性をとことん追求することによって、結果的に調整のあり方を混乱させていくということでしょうか?」
小澤「そのとおり。多重性とかね、そういうものを持ち込んでいる」

そして村上春樹さんはこうも説明しています。
「彼の音楽にとっては、深層意識がかなり大きな意味をもっているみたいです。フロイト的というか。バッハやベートーベンとかブラームスとかそういう音楽の場合、やはりドイツ観念哲学的というか、地上に出ている意識の整合的な流れが、大事な意味をもっている。でもそれに比べるとマーラーの音楽にあっては、アンダーグラウンド的というか、地下の暗闇に潜っている意識の流れみたいなものが、積極的に取り上げられているように感じられます。そこには矛盾するもの、対抗するもの、峻別できないもの、そういったいくつものモチーフが、まるで夢を見ているように、ほとんど見境なく絡み合っている」 

なるほど小説家ですね、観念的にはよく理解できます。では小澤さんはというと、そうした楽譜に込めた作曲家の意図をできるだけ深く読み取り、いったん自分のものとして内在化させた上で、オーケストラを通じて音楽的空間として表出するということなのでしょう。
小澤さんは盛んに「自由」というコトバを使います。楽譜があって、そこには作曲家の細かい指示が書かれています。にもかかわらず、その解釈は人それぞれで微妙に違うし、奏法も一人一人違う。したがってその組み合わせは無限に考えられる。それを、一定の方向に誘導するのが指揮者の役割ということなのでしょう。楽譜があるから変えられないというのではなく、楽譜があっても自由であり、それをどう導いて音楽を作っているのかは、もうコトバでは説明できない世界なのだということがよく分かりました。

さっそく今日、サイトウキネンを指揮したマーラー(08年)とブラームス(09年)のDVDをネットで注文しました。クラシックの聞き方がどう変わるのか楽しみです。
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栃もちのお菓子が届きました

前回「なんちゃって親族」のことを書きましたが、お茶をごちそうになったお礼にと、今日水窪の水口家からからお菓子が届きました。栃もち本舗 小松屋製菓さん製のお菓子です。

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この栃もちのことは、おけいさんのブログで知っていましたが、届いた小包にはお菓子に貼ってあるラベルの「SEIYOU WAGASHI 栃」 以外に、店を知る手がかりが何も入っていなかったので早速ネットで調べてみました。(http://www.misakubo.net/link/linkv.html

そこには「西洋風の栃もちなんて聞くと、なんとなくかる~い感じがするかも知れませんが、いたって真面目に『栃』と向き合っています。
昔から伝わる栃もちと同じように、『栃の実』加工は1ヶ月かけて仕上げる製法を守っています。この、手間隙があるからこそ、この『西洋和菓子 栃』の味が生まれました」とあり納得。かる〜いどころか、とてもおも〜い製法で作られていたのです。食べてみると、実にコダワリを感じさせる味で、素朴だけれども、それでいて決して古くはないのです。

最近はスイーツ流行で、パテシエがやたらもてはやされていますが、その分味が複雑になってきていて、私にはだんだん分からなくなりつつあります。その点、今日いただいたお菓子は「栃の実」がきちんと主張していて、その旨味を引き出している味です。

小松屋さんのHPは、個人商店ならではの等身大の情報までいろいろ載っていて、なかなか面白かったです。例えばこのくだり
「田舎では昔から、『栃の木を、切る馬鹿、植える馬鹿』なんて言われています。
まずは『切る馬鹿』。これは、桃栗とは違い、栃の場合は実をつけるほどの成熟した木になるには、100年近くかかるため、
先祖が植えてくれた『栃の木』を切るのは、それまでの数十年の歴史が一瞬にして消えてなくなると言った意味から・・(略)・・
小松屋製菓では、『切る馬鹿』にはなりませんが、2代目から『植える馬鹿』にはなっちゃいました」

このコダワリが、この味を作っているんですね。
今の当主の小松裕助さんは3代目だそうですが「先代より伝わる全ての工程を数十年間、守り続けております。栃の皮剥きも一つ一つ丁寧に行い、一切の妥協はいたしません・・・そして、その木を育ててくれるこの町の大自然に日々感謝!」とも書いています。風土が作り上げた味でもある、ということでしょう。

こんな素敵なお菓子を有り難うございました。
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なんちゃって親族

Shifoちゃんの母親、フラワーさんの実家は静岡県水窪町というところです。今は合併して浜松市になっていますが・・・。

その水窪をWikipedia で調べてみるとこんなふうに書いてあります。
静岡県西部地区の北部(北遠)に位置する山深い山村である。天竜川の支流水窪川に沿った形で人家が存在し、中央構造線に沿う盆地になっている。JR東海飯田線水窪駅と向市場駅付近の水窪・奥領家集落が、町の中心地である。ここに水窪町内の公共施設・学校・人家の殆どが集まっているため、人口の少なさと高齢化率の高さの割に活気がある。赤石山脈の南嶺に位置するため静岡県では数少ない豪雪地帯である。
中央構造線に多い変成岩の一種である「領家変成岩」や、遠く九州まで続く広域変成帯「領家変成帯」の名は、奥領家の地名からとられている。

以前ShifoちゃんがDVDを作った時に水窪の風景が出てきて、それ以来ずっと気になっている所で、一度は訪ねてみたいと思っているのですが、未だに果たせずにいます。

その実家を継いでいるお兄さんの奥さん、おけいさんとはブログを通じて親しくお付き合いをさせていただいているのですが、そのブログ・吾亦紅(http://misakubomonogatari.hamazo.tv/)には「大好きな故郷で楽しく暮らしていこうと いろいろチャレンジしています。草木染め、裂き織り、人形劇、などを楽しんでいます」とあり、水窪の様子がいろいろと綴られています。それを読んでいると、都会の豊かさは見せかけであって、本当の豊かさはそういった山深い山村にこそしっかり残っているんだなと感じることがしばしばあります。

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昨日急にフラワーさんから電話があり、おけいさんご夫妻がこちらに出てきていて、今夜GANBAROUに行くのですがどうですかというお誘いがあって行ってきました。おけいさんとは過去に2度ほどお会いしていますが、フラワーさんのお兄さんとは初対面でした。実はそのお兄さん、大学は経済学部弦楽科卒だそうで、そのころから音楽大好き人間、どうやらShifoちゃんの血には、そうしたDNAが脈々と受け継がれているようです。

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今日の夕方水窪に帰るということでしたので、昼間我が家にお茶を飲みに来ていただきました。でもあれから予報通り風が凄くなり、我が家の竹薮もこんなでしたから、無事家に帰れたのでしょうか?
まあ、そんなわけでShifoちゃんの家族とは、なんちゃって親族のお付き合いをさせていただいておりますが、今度絶対に水窪に行くぞ!
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生き方の達人、宮本常一

最近は雑誌を買うことが全くないのですが、それでも、いろいろな雑誌が勝手に送られてきます。カード会社が発刊している「てんとう虫」もその中の1冊です。そこに「永六輔のお話供養」というコーナーがあって、今回は民俗学者の宮本常一さんを取り上げていました。

2人とも「鬼太鼓座」の設立に関わっていた縁で佐渡の小木港で初めて会うのですが、すでに有名人になっていた宮本さんの周りには弟子や信奉者がたくさんいて、さすがの永さんも近寄れなかったそうです。でも1人になったときを見計らって声をかけたら「一緒に歩こうよ」と言われます。

しばらく歩いていると、宮本さんは「この辺に泊まろうか」と言いながらごく普通の民間の玄関に立って、「旅の者でございますが、一晩の宿を貸していただけますでしょうか」と声をかけた。びっくりして初めは遠慮していた永さんも促されるままに一緒に泊まったということでした。

その家の作法に染まるというか、村の作法に従っちゃう。滲み込むように、佐渡の小さな漁村の家に馴染んでしまう。最初はお茶を一杯。そのお茶が酒になって、つまみが出てきて、いつの間にやらご飯になって、そのまま泊まってしまう・・・宮本さんはそれが平気な人でした、と書いています。

そして永さんは、宮本さんが亡くなった後、宮本さんみたいな後ろ姿だなあと思うのは小沢昭一さんだと言います。あの人も風景やそこにあるものの中に、ごく自然に入っていって、ごく自然に現れる人なのだそうです。

まさにお2人とも生き方の達人です。そういう生き方にすごく憧れるけど、凡人にはとても無理ですね。なかなかそこまでの境地にはない。また、時代もそういう人を受け入れなくなってきています。いきなり訪ねて行って「一晩の宿を・・・」などと言うものなら、すぐに110番されそうです。

でも気持ちの持ち様としては、そうありたいものです。どんな場にあっても、スウッとその場に滲み込めちゃう、それでいて決して周りに染まってしまうわけではない、そんな生き方ができたらいいですね。

前回「オリーヴ・キタリッジの生活」について書きましたが、彼女はそれとは真逆なタイプのような気がします。あまりにも自己中心的過ぎて、周りの誰とも心を通わすことができないのです。
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オリーヴ・キタリッジの生活

昼間テレビを見ていたら、20年近く続いていた週間ブックレビューが終わりになるということでした。特に熱心な視聴者というわけではないですが、たまたまこの番組に出くわすと、必ず最後まで熱心に見てしまいます。結構好きな番組でした。

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1か月ぐらい前の番組で「オリーヴ・キタリッジの生活」が推薦本として取り上げられていました。その時、主人公オリーヴ・キタリッジの性格の悪さが話題になり、なのに面白くて途中で止められなくなってしまうんだよね・・・みたいな話だったように思えます。いまさら性格の悪い主人公の小説でもあるまいと思いつつも、逆にそのことが気になって買ってしまいました。

舞台はアメリカ北東部の小さな港町、その静かな町の日常の暮らしを13の短篇として描いたものです。短篇ごとに主役が代わるのですが、元数学教師のオリーヴ・キタリッジだけは短篇のすべてに姿を見せます。主役の時もありますが、脇役や端役として・・・。

書評にもあったようにオリーヴは性格が悪く、傍若無人で強烈な個性を持っています。オリーヴが主役の時は町の人たちを見る立場、脇役の時は見られる立場になるのですが、その強烈な個性がスパイスとして13の短篇をつなぎ止め、オリーヴに関する長篇小説のような構成にもなっています。

途中で何度も、読むんじゃなかったと後悔しながら、結局は最後まで読んでしまいました。小さくて静かな町の日常を綴った物語ですから、登場人物は、穏やで、微笑ましい日常を送っているのかと思いきやそれが大きな間違い、オリーヴ以外の登場人物も嫉妬や悪意、人生の後悔に満ちた人物ばかりで、会話はことごとく悪意や不信感に満ちています。唯一善人なのはオリーヴの夫ヘンリーだけ、でもその彼も最後には寝たきりになってしまうのですから救われません。とにかく小さな町の平凡でどうしようもないような日常が描かれているのです。

その上、一つ一つのストーリーが分かりにくい、会話も誰のセリフなのか分かりづらくでしばしば立ち往生、登場人物が毎回違うので名前も覚えられない等々、読み進むにはかなりの集中力を必要とします。「翻訳が悪いんじゃないの」などど、翻訳者に八つ当たりしながら何とか最後まで読み終えました。

でも読み終わってみると、この悪意に満ちたオリーヴ・キタリッジの生活が、何だかボディブローのように効いてくるのはどうしてなのでしょうか。
作者ストラウトは、「こんな昔ながらの田舎の話がいつまでも滅びないのは、人間の魂の孤独をしっかりと見据え、どこに暮らしていようとも心の生活には激動がることを、あらためて感じさせるからなのだ」と述べていますが、たしかにその通り、一見強気そうに見えるオリーヴですが実はとても孤独なのです。
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東北地方の美しい『村』再生プロジェクト

震災後すぐにこの構想のことが新聞に載り、その取り組みに共感しました。そのことをブログに書こうと、新聞記事を切り取っておいたのですが、当時は震災についてコメントする気力がなく、そのうちにどこかにしまい込んでしまいました。

ところが数日前、宇野さんのFacebookに写真入りでそのことが載っていました。あの構想は実現されたんだと思いつつネットで調べてみると、昨年の11月に入村式が行われたということでした。

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この取り組みは、株式会社MonotaROと工学院大学、さらに石巻市内の企業グループが連携して昨年の4月から事業展開してきた、美しい村を復興するためのプロジェクトです。余談ですが、工学院大学建築学部といえば、私がペンキ屋の仕事をしていた時に、武藤研究室の仕事(北欧風の木造家屋)にかなり関わったことがあり、この記事を読んだ時に当時を懐かしく思い出しました。

ネットで標題を検索すると沢山の情報がヒットしますので、興味のある方はぜひそちらで詳しい内容を読んでみてください。

私がこのプロジェクトに瞬間的に共感は覚えたのは次のようなことでした。
1つは、国や自治体が動き出す前に、民間から寄付を募って、いち早く、しかも具体的に建物を造るという行動を起こしたことです。復興住宅は大量に供給しなければならないことから、鉄筋コンクリート造りの集合住宅になりがちです。そのことに楔を打った取り組みだと言えますし、今度1つのモデルになるのではないでしょうか。
2つ目は、それを地元に伝わる伝統工法で行おうとしたことです。東北地方に残る伝統工法による美しい街の再現です。当然にして地元の工務店や地元の木材を使用することを前提に計画されています。
3つ目は、コミュニティを意識した計画であるということです。全部で 11 棟建てたのですが、そのうち10棟は個人住宅、残りの1棟は共同利用が可能な住宅になっています。孤児や身寄りのないお年寄りが共同で生活できたり、浴 室やトイレを共同利用しながら生活するようになっています。東北地方に昔からあった互助精神のある共同体を保護・維持しようとい試みです。
4つ目は取得費を低廉に押さえるため、MonotaRO 社の協力で、同社が開発した建築デザイ ンから資材の指定までを一気通貫で行えるパソコンソフトや定期借地・定期借家の制度を導入していることです。

何もかも押し流されてしまった巨大津波からの再生を、こんなふうに専門家や篤志家、地元住民などが協力して進めようとしているまちづくりの取り組みは、勇気と希望をもたらしてくれます。
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春はもう間近か

今日(今の時間ですともう昨日ということになのですが)は、昼間、比較的暖かかったので庭に出てみると、キクザキイチゲが今を盛りと見事な花を付けていました。他にもいろいろ春の花が咲いていました。庭の花は以前にもブログにアップしたことがあるので、今回はFacebookだけにと思ったのですが、でもやっぱりこちらにもアップすることにしました。

以下4枚目まではキクザキイチゲです。

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あの東北の民謡に出てくるサンシュウ、マンサクやミツマタなどと一緒にいち早く春の予感を告げる花です。マンサクやミツマタも今咲いています。

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次から2枚は、皆さんご存知のツバキ、ただし種類は妻に聞かないと分かりません。

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次が咲くと黄色い花をつけるトサミズキの蕾、もうすぐ花が咲きそうでした。

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続いて、下の娘が生まれた時に植えた、一重のコウバイです。これも今年の冬が寒かったせいで今頃になって咲いています。この何となく造化っぽいところがたまりません。

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もう一枚、玄関前のコウバイです。

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3月末ごろ咲くハクモクレンの花芽がこんなに膨らんでいました。

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最後がフクジュソウ、これもいつもならもうとっくに咲き終わっているはずの花です。

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小沢征爾さんが1年間の活動休止

小沢征爾さんが指揮活動を1年間休止し、静養することになったようです。たまたま見たテレビ、BS朝日「小澤征爾さんと音楽で語った日 ~チェリスト・宮田大・25歳~」で、小澤さんの体調の弱り具合を知りました。ですから、この際徹底的に静養して、また世界の小澤として元気に指揮する姿を見せて欲しいと思っています。

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昨年の1月、いま最も注目されている若手チェリスト、宮田大を起用して小澤はハイドンの「チェロ協奏曲」を演奏することになっていました。ところが小澤が体調を壊し開催できなかったのですが、その時に2人が交わした“約束”のステージが、1年後の本年1月に実現しました。そのリハーサル光景やコンサートの様子を伝えたのがこの番組、共演は小澤が顧問を務める水戸室内管弦楽団でした。

宮田は2002年に桐朋女子高等学校音楽科に入学しますが、その年の9月に桐朋学園音楽部門創立50周年記念オーケストラコンサートで小澤の指揮を受けています。まだ15歳の時です。ですから今回は10年ぶりの共演ということになります。その間宮田は2009年に日本人として初めてロストロポーヴィチ・チェロコンクールで優勝したりしていますから、当時とは大分事情は違いますが・・・。

体調が優れないにもかかわらず、若いチェリストを育てたいという一心で臨んだ小澤のリハーサル姿には、ぐっとくるものがありました。最初は個人レッスン、開口一番「ちょっとおとなし過ぎるかもね。いい子過ぎるの・・・。緻密であるのはいいことだよ。ロストロポーヴィチも緻密だったし、でもその上でもっと自由でなければ・・・下品にならない程度にもっと自分を出して表現して欲しい」そんな趣旨のアドバシスだったような気がします。

その後に全体でのリハーサル、しかし小澤の体力は限界に近く、数十分練習しては15分休むというように、自分の身体を騙しながらのリハーサルでした。しかしいったん指揮棒を持った小澤の顔は凄い迫力、気力が画面からも伝わってきます。夢中になるとリハーサルが1時間以上に及ぶこともありスタッフはハラハラしていました。眼鏡の上からあのギョロッとした目で宮田を睨みつけ、もっと、もっと自由にと目で宮田を鼓舞し続けます。

宮田大はとても素直そうで優しい顔をしています。話し方も同様で謙虚です。その素直で謙虚な宮田の音楽の殻を打ち破りたい・・・小澤にはそんな思いがあったのではないでしょか。その思いに応えようとしている宮田も必死、後でその時はかなり混乱していたと語っていました。

初日と2日目は水戸芸術館が会場でした。初日は小澤の指揮で無事終わったのですが、2日目は開演直前に指揮できないことが知らされます。それを担当者が舞台の上から伝えると、大ブーイング、一時は収拾できなくなるほどでした。その時、客席にいて、すっと立って説明したのが芸術館館長の吉田秀和でした。「小澤さんは、体調が優れないにもかかわらず必死でリハーサルに努めてきました。ですから一番悔しく思っているのは小澤さんではないでしょうか。小澤さんが指揮できなくなったがどうすると演奏者に聞いたところ、全員が、小澤さんのこの曲に対する思いは分かっているので演奏したいということでした。ですから、指揮なしでもいいという方は残ってください」そう説明すると、今度は会場中が割れんばかりの拍手でした。そして指揮台に乗って演奏したのが宮田大でした。

3日目のサントリーホールは何とか小澤が指揮できました。しかし4日目の足利公演は中止、5日目の倉敷公演は2目同様、宮田が指揮台に乗りました。

いずれにしても若い宮田大が、世界の小沢征爾から直に薫陶を受け、その上今回の修羅場をくぐり抜けたことで、音楽的には一皮剥けるのではないでしょうか。近いうちに彼のチェロをぜひ聴きに行きたいものです。
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故郷でクーペ&Shifoのコンサートの打合せ

5月13日(日)にクーペ&Shifoのチャリティーコンサートを私の故郷(福島県石川町)でやることになりました。そのことを年賀状で親友のマモちゃんに伝えたら、東京の感覚とは違うんだから早めに来て準備をしないと・・・と電話があり、打合せのために田舎へ行ってきました。

打ち合わせは着いた日の夜、当然飲み屋で、声を掛けたのは中学校からの親友で、元高校教師のマモちゃん、2年後輩で、地元で「町民ニュース」を発行しているケンちゃん、それに私の弟。もう一人、同級生で、会社を経営しているカズヨシちゃんにも声をかけたのですが、あいにく予定が入っているということで参加できませんでした。でも全面的に協力するという心強いコトバをもらっています。

新白河駅までマモちゃんが迎えに出てくれたので、車の中でコンサートをやるに至ったいきさつを説明しました。するとさっそく、「“ガンバロウ”みたいなことは、あんまり前に出さない方がいいかもなぁ〜・・・このへんでは“ガンバロウ”疲れしてるから、抵抗があるかも・・・」とのアドバイス。「ソウ、そういう田舎の雰囲気を知りたかったんだ・・・」と私。

夜の打ち合わせでは、まず私が一通り説明してから、コンサートの名称、主催団体、演奏時間帯、券売方法などについて話し合いました。
料金についてはすでに電話でケンちゃんに相談していて1,000円にすることが決まっていました。最初は2,000円でどうだろうと提案したのですが「この間も落語会をやったんだげど、石川で2,000円は無理だ!」と言われ1,000円にすることにしたのです。

打合せはこんな感じで進みました。
「会場は200席だがら、それぐらいの券はオレらでもさばげる。んだげども問題は券を買ってくれだ人が、みんな来てくれっかだ」「んだ、蓋あげだら半分も入ってねんじゃ、せっかく東京がら来てくれんのに、申し訳ねえがらない」「やっぱ、ちゃんとした組織を噛ました方がいいのがなァ」「そうだな」「だったら文化協会に噛んでもらうがい?」「んだな」「んじゃ、いま会長を呼ぶがら」
こんなやりとりがあって、ケンちゃんが電話をし、石川町文化協会会長のキョウコさんにも急きょ来ていただきました。私は初対面でしたが、昔本屋を営んでいた実家のことは良く知っています。共催は無理としても後援ならいただけそうな感じでした。名義はどちらでもいいので、ぜひ音楽に興味がある人に声をかけて欲しいとお願いしたところ、会としては理事会を開かないと決められないが、個人としては協力していただけるということでした。

主催団体は「クーペ&Shifoチャリティーコンサート実行委員会」とすんなり決まったのですが、問題は誰が会長を務めるか、地元の人がなるべきだと主張したのですが、立場上それぞれ難しく、結局私が務めるハメになりました。ただし旧姓で・・・。「石川から出だ人が、石川のためを思ってコンサートをやるどこに意味があんだがら、コウヨウちゃんでいいんじゃねえの・・・」ということになったのです。

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翌日は実家の墓参りをしたり、隣町のケンちゃん(こちらは同級生のケンちゃん)を訪ねたりして、水曜日の午後、早めに帰ってきました。夜に稲城で細内さんのCB講座があったので・・・。
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ZAZのライブに行ってきました

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24日、金曜日の夜、ZAZのライブに行ってきました。場所は赤坂BLITZ、初めての会場でした。さほど大きくない会場なのに観客数は1,200人・・・というのも1階がすべて立ち見席なのです。最初からみんな立っているので、前座が終わってZAZ が登場するやいなや、会場全体がもうノリノリ、歌と演奏に合わせ拍手あり、踊りありの興奮状態でした。

そうそう、You Tube でよく見かけるギターリストも一緒でしたよ。トレードマークの丸い帽子をかぶって・・・。

ZAZの歌声はいまさら言うまでもないことですが、舞台の上でも気取っていなくて、まるで路上ライブのよう、メチャメチャ楽しくて、ご機嫌なライブでした。 
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